茶ノ木を始める以前のインドネシアで原木を探していた頃の懐かしい時代です。ご笑覧下さい。
昔の資料を見ていたら、20代の頃の写真が出てきた。
短期駐在で毎週のように、インドネシアで日本向けの丸太を検品して、船積みしていた。日本の高度成長期の裏方だった。
酷い環境だったが、若かったから何とかなった。
その後、原木は輸出できなくなり、だんだん楽になったけどね。
環境に耐えられなくて狂って退社した奴も結構いたし、ボートが故障して漂流する事故も多かった(俺も経験したが)。マラリア・デング熱・下痢など何でもアリ。
ログポンド(貯木場)にて検品
日本向けの本船横まで筏を引いていき、積込み
中には刎ねたはずの丸太があり、積み込もうとするので沖仲士とひと悶着。
タバコとコーヒーで納得させる。(回教徒はお酒を飲まないのでね)
タバコとコーヒーで納得させる。(回教徒はお酒を飲まないのでね)
本船デッキにて。ビーサンで危ない=若さですね。
オンデッキといい、この上に積めるだけ丸太を積んで、ワイヤーで縛る。
嵐でワイヤーが切れて流出なんてことも。
嵐でワイヤーが切れて流出なんてことも。
ログヤード(貯木土場)にて
重い丸太(沈木)は土場からバージに乗せて、本船までえい航する。
キャンプ付近の風景
こんな風にして、日本にせっせと原木を送っている中で、ウリンを発見したのです。
これがウリンです。
その後の話は、又の機会に。
これがウリンです。
その後の話は、又の機会に。